「なぜ急ぐ?昔はみんな歩いてた!」

あきらんウォーク

以前、どうしても危急の商用があってタクシーを使用したことがあります。
先方のオフィスに約束の時間に到着できるかギリギリでしたので、
タクシーに飛び乗った後も車内の後部座席で終始ヤキモキしており、赤信号で車が停止するたびに「ああっ」とため息をついてしまうような状況でした。

運転手さんも事情を知って努力してくださり、最短の道を選んでくださったのですが、そういう時に限って「マーフィーの法則」なのか、事故が発生していて迂回しなければならなくなったり、やたらと赤信号に阻止される運命だったりもします。

焦りと諦めが交差したような感情のなかで、またもや赤信号でタクシーは停止。
失望感で前方の窓をふと見ると、ひとつ前のダンプカーの後部に掲題の標語ステッカーが貼ってあったのです。

「なぜ急ぐ?昔はみんな歩いてた!」

このステッカーを見て、タクシーの運転手さんと2人で笑い転げてしまいました。
「急いでください!」とお願いしていた自分の滑稽さをあざ笑うようなこの標語の言葉が妙にツボにはまって、なんだか「もういいや」というサバサバとした気持ちになって、運転手さんとも和やかな雰囲気になりました。

おかしなもので、焦って急いでいるときは事故だの赤信号だのと阻むような現象ばかりに見舞われたのに、あの標語ステッカーをみて気分が落ち着いてからは、赤信号で停まることもなくなり、渋滞も緩和され、不思議なくらい順調に道路が流れたのです。結果的に重要な商用の時間にギリギリセーフで到着し、ことなきを得たのでした。

あの標語のことはずっと覚えています。そして、いまでも折に触れて思い出しては「言い得て妙だなぁ」とひとり微笑んでしまうのです。

昔のひとはどれくらい歩いていたの?

ふと、そんな疑問にとらわれました。
よく言われるのが江戸時代の松尾芭蕉ですよね。「忍者なのではないか?」と言われるほどの健脚で、長い距離を信じられない時間で歩いたと検証されています。
そうではなくとも、昔のひと・・・、そうですね、少なくとも明治維新より前の自動車も蒸気機関もなかった昔は、馬や籠に乗るような身分の人以外は、どこに行くのも歩いていたわけですよね。

ある統計では、農家の人が朝起きてから、畑に行ったり、山仕事をしたり、隣村までひと山超えて寄合に出かけたり、など、なんだかんだで1日に3万歩くらいは歩いていたはずだ、という仮説があるそうです。
現代人は1万歩歩くだけでも「すごいね」と言われるような状況ですから、3万歩は想像を絶しますよね。

昔のひとは健脚だったと思わせる状況証拠

「弥次さん!喜多さん!」で知られる「東海道中膝栗毛」ですが、この2人、戸塚の宿から小田原の宿の約40Km、次の日は小田原の宿から関所のある箱根まで約30Km歩いていることになります。
ざっと1日8時間~10時間くらい?普通の現代人の歩く速度って、時速4Kmほどですもんね。

問題はこの「東海道中膝栗毛」が広く当時の人に読まれていたということ。
つまり、この「弥次さん!喜多さん!」は特別に荒唐無稽な健脚のひとというわけではなく、当時の読者である庶民がそのくらいの距離を歩くことに特に違和感を感じていない、ということです。
と、いうことは、やっぱり当時の人々は、現代人よりもずっと長い時間、長い距離を歩くことに慣れていたのだと思われますよね。

また、これは勝手な思いつきで無責任なことを書くかもしれませんが、よく美術館や博物館で、江戸時代の人々の風俗、暮らしのコーナーがあって、当時の庶民を書いた絵が残っていたりしますよね。そこに描かれている江戸庶民に「ぶくぶく太ったひとがいない!」というのが私の常々抱いている印象です。

太った自画像があるのは、たいてい大名とか豪商とか。一般庶民はおそらく粗末な食事と長い歩行の生活によって
脂肪過多になるひとが少なかったんじゃないか?って。考えが安易過ぎでしたらすみません・・・

さいごに

今日はちょっと閑話休題な感じの話題になってしまいましたね。
でも、書きながら気付かされた点があります。

私たちは当たり前のように電車や自動車のような交通機関や、自転車、エスカレーターなどを使用しています。でも、これらがなかった時代、たしかに「みんな歩いてた」んですよね。

いま私はこのブログで「散歩・ウォーキング」にまつわる記事をいくつか書いてきていますが、それらは主に「健康のため」や「気分転換・リラックス」のためという切り口で、うだうだと愚見を述べているものです。

ただ、冷静に考えると「歩く」という行為は本当に人間の基本を成すものであり、生きていくうえで、生活を営んでいくうえで「至極当たり前の大切なこと」なんだなぁ・・・って思いました。

私たちはいま交通機関を駆使して、どんな遠くへでも行くことができます。そうしておいて一方で「ウォーキングする時間が捻出できない」といって悩んだりもしています。

現代人の悩みを「滑稽だ」と一笑にふすのは簡単です。でも、そうではなく、例えば一駅先のスーパーまでバスなら10分、歩けば25分、だったら15分の短縮を焦らずに歩いてみるか!というくらいの考えで、生活の中でウオークを取り入れてくのは無理なく賢い手段のように思えますよね。「昔はみんな歩いてたんだから」って。

昔の人に敬意を表して歩いてみようか?1日40km!!  

・・・やめておきます。(-0-;)

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