≪2月の祝日≫「建国記念の日」その由来と趣旨について調べたので語ってみた!

あきらん歳時記

2月11日は国民の祝日です。会社や学校がお休みになり「やったー!」モードになるのが常ですが、
「とにかく祝日で休暇だからいいや」という大雑把な意識で、この日について思考を停止してしまっている方が多いのではないかと思います。
何故そんなことを言うのか?というと、私がその一人だからです。

念のための確認ですみません。この祝日の名称をご存じでしょうか?
はい!(^0^)そうですねっ!「建国記念の日」です。タイトルに書いてあるしっ!

2月といえば正月休みの後、ずっと懸命に仕事をし続けてきて、ああ、そろそろ休暇が欲しいわいねっ!(><)というプチ・マンネリのタイミングです。そんな状況で「あいよっ!」と言いながら登場してくれる休暇なので、本当に助かります。大海を泳いでいるときに無人島発見!みたいな、はたまたマラソン中の給水ポイント到着!みたいな・・・とにかく救世主のような祝日です。
(ちょっと大袈裟に喜びすぎ??)

とは言いつつも、なんでこの日が祝日なの??そして、なんで「建国記念の日」なの?

今日は自分自身の勉強も兼ねつつ、皆様と一緒に整理していきたいなと思います。

「建国記念の日」とは?そして何故2月11日?

すこーし長くなっちゃうかもですが、ワタクシなりに理解して、判りやすく説明できるように頑張りますね。

「建国記念の日」とは、その名の通り「日本の建国を祝う日」です。
制定は1966年(昭和41年)、大層なネーミングの割には新しめな祝日なのですね。
ただ、2月11日にこの祝日が確定した理由を確認していきますと、いっきに悠久の歴史というか、神話の世界にまで話がさかのぼり、スペクタクルになります(笑)

日本の神話上の人物であり、我が国の国体の源である初代天皇「神武天皇」の即位日が、紀元前660年の1月1日(旧暦)であると「日本書紀」に記述されており、これを今の太陽暦(グレゴリオ暦)に当てはめると1月29日に相当する、とのことです。

初代天皇が即位した日がイコール日本の国家建設の日、というコンセプトです。
明治時代になり王政復古を遂げ、天皇の権威をよりどころにした明治政府が明治6年1月29日を「神武天皇即位日」としてこれを祝し、その後、この「神武天皇即位日」を「紀元節」という名称に改め、定めたのでした。

「おろろ?じゃあ、その紀元節っていうのは1月29日ってこと?」

という疑問が沸きますが、そうは問屋が卸しませんでした。

明治5年までは日本では旧暦を採用していましたが、時の政府は西洋の暦に合わせるため、無理やり明治5年12月3日を明治6年1月1日(元旦)とする力技で、グイっと暦を新暦に切り替えました。すげー行動力。やるじゃん!いまの政府にないね(笑)

つまり、明治6年から祝日となった「紀元節」の1月29日は、日本の国民にとっては去年までの新年(元旦)のお祝いの日、つまり「あけましておめでとうの日」という印象を持たれてしまいました。

大昔の、見たこともない神話上の天皇のお誕生日より「あけましておめでとう!今年もよろしくね!」のほうが、国民にとっては重要な生活上の節目であり、これでは「紀元節」は旧正月の「ついで」みたいになってしまいます。

焦ったのは政府です。そもそも「紀元節」は天皇の権威を高め、国民に知らしめることが目的で制定されたのに「ついで」にされた日には大変です。

そこで明治政府は「紀元節」をずらさないと!(><)国民に認知されない!っとテンパって、文部省や偉い暦学者を総動員して「具体的な計算方法は明らかにしないが干支を参考に」という苦しい算出で「2月11日を紀元節とする!」と宣言した、という経緯があります。

この「紀元節」ですが、歴史を習った皆様ならご存じの通り、日本が第二次世界大戦で敗北する昭和20年までの、天皇主権の「大日本帝国」において定められていた祝日です。

戦争中、外地で戦闘をする日本軍は、しばしばこの「紀元節」や天皇誕生日である「天長節」までに敵陣を占領しろ!という大本営の鼓舞によって、力攻めの斬りこみや遮二無二の敵陣突撃を繰り返したという悲痛な歴史もあります。

戦後、戦勝国として日本に乗り込んできたGHQは仇討ちを連想させる「忠臣蔵」や、「合戦」と名の付くという理由で「紅白歌合戦」にでさえ難色を示したくらいですから、日本の天皇制や戦争を連想させる、あらゆることに神経をとがらせていました。
卑近な事例で恐縮ですが、私のご先祖様にも軍人がおり、戦後、将校の軍刀などはすべて差し出すように命じられ、刀の鍔だけを残して、あとは供出してしまったとのことです。

天皇制の根幹である神武天皇の祝日「紀元節」など、もちろんGHQが許可するはずがありません。

「紀元節」は占領下の日本で昭和23年(1948年)に廃止されます。

ただ、その後、占領状態から脱し、高度経済成長の高まりのなかで、本項の冒頭に記した昭和41年(1966年)に「建国記念の日」として再設定され、その翌年から国民の祝日として華麗なる復活を遂げたという経緯です。

そのおかげで私たち(職種上、当てはまらない人ゴメンナサイ!)はこの日に会社に行かなくてよいのです。

あ~あ、長かった・・・(-0-;)読んでくださっている方、すみませんでした。

「建国記念の日」 そのネーミングの謎に迫る!

巷間ではこの祝日のことを「建国記念日」と呼ぶ人が多いです。
ただ、見出しを見て頂ければわかりますように正しくは「建国記念の日」・・・、そうです「の」が入っていますよね。わざわざ。

これってなんででしょうね?「の」なんてないほうが絶対にゴロが良いはずです。

この「建国記念の日」が制定された昭和41年、当時の内閣総理大臣は佐藤栄作さんでした。
のちに沖縄返還でノーベル平和賞をもらったひとですね。

佐藤首相(当時)はこの記念日の制定に関して、衆議院本会議で下記の趣旨を述べています。

「建国をしのび、国を愛し、国の発展を期するという、国民ひとしく抱いているその感情を率直に認めて、そしてこの日を定めようとするものであります」

そうです。どこにも「神武天皇の即位」とか「日本書紀によると」とか、そういう言葉は見当たりません。
つまりは「国である以上、国民が国家の一員であることを自覚し、日本人として国を想う日は必要ですね。だから国民の祝日にしました」
と言っているわけです。

神武天皇の実在についても意見が分かれる・・・、というよりも第10代の崇神天皇が本当の初代で、神武天皇は崇神天皇と同一人物、2代~9代は「欠史八代」(日本書紀で、日本の歴史を古く見せるために水増し改ざんした疑惑)という論説のほうが勢いの強い戦後史観のなかで「神武天皇の即位」はさすがに口に出せませんよね。

ただ、一方で「日本の伝統の国体」を堅持する立場の方々の勢力もあって、おそらく表向きは「他にふさわしい日もないので紀元節に使っていた2月11日を流用でよいでしょう」とし、制定の趣旨としても「あくまでも建国した日ではなく、建国を祝う日という意味ですよ」と印象づけることで「紀元節の復活反対派」を封じ込め、実質上は2月11日を復活させることによって「紀元節の復活賛成派」も溜飲を下げる、という「両陣営の顔をたてる」妥協を狙った軟着陸だったのでは?と想像できますよね。

「の」はそういう意味で「2月11日に建国した!という意味の記念日じゃない」という煙幕のための「の」でしょう。

そんな「の」の一文字に意味なんてあります??という声も聞こえてきそうですが、日本の政治家は気にするんです。

戦争終結のときの玉音放送の文章についても、半藤一利氏の「日本のいちばん長い日」を読んで戴ければわかる通り「てにをは」や「熟語のアレンジ」に拘って喧々囂々(けんけんごうごう)と何日も揉めて、その間に原爆を落とされ、ソ連も参戦、という、そういう国の政治家の系譜ですから・・・・。

因みに「勤労感謝の日」(11月23日)も「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」というのが制定の趣旨です。わかりる?「の」が入っていますね。こっちも。
当然「建国記念の日」と同様に「勤労を尊んで感謝しあう」のなら、別に11月23日じゃなくってもよいのでは?となりますよね。

これも明治時代、天皇が収穫物を神に供え、自らも食すという「新嘗祭」という祭事として、やはり「紀元節」と同じく明治6年に「祝日」となっております。そして、これもまた戦後に「勤労感謝の日」として装いがあらたにされましたが、実質的には「米の収穫を天皇が感謝する祭事」を祝日として継続する、という「実」の方は維持されています。

同じロジックですね。日本人って、そういう才には長けていますよね。

「建国記念の日」に考えてみよう!国ってなんだろう?

グローバリズムの世の中です。
日本人という基準で考えても、わずか150年前まで、ほとんどの人は生まれた村で生活し、労働し、その村で死んでいきました。

明治になってから「国家・国民」という概念が生まれ、パスポートをみてもわかるように、現在も「国家・国民」基準で正式な運用は継続されています。

ただ、ここ数年で急激に発達したAIの分野の台頭とネット社会の成熟により、もう「国家・国民」という枠を脳内から消去して、世界的視野で活躍することが主流となる日はそう遠くありません。

その中にあっても私はこの「日本」という国に生まれ「日本人」であることに誇りと喜びを持っています。

別に外国の方々を下にみているというのではありません。
素直に「日本人なんかに生まれてこなきゃよかった」とは思わず「日本人に生まれてきてよかった」と思っているというだけです。そうではない日本人を批判するつもりもありませんし、別の国の方々についても、自分についてどう考えるかは個人の自由です。

これからは「日本人である自分を誇りに思っている」などというと「そういうのを遅れたムラ意識というんだ」と嗤われる時代がくるのかもしれませんね。

そういう人が世界中にあふれ、最大公約数を占めたとき「建国記念の日」はなくなるのかもしれません。

今回、今まで「祝日ラッキー!会社休みだ!イェ~イ!」なテンションだった私も、色々と考えさせられることがありました。普段意識していませんでしたが、自分にとって「国」ってなんだろう?って。

来年以降は、そういう「日本人としての自分」「国家と自分」ということも、制定された祝日に、見つめなおすよい機会として捉えつつ・・・、

「イェ~イ!」と休暇を謳歌したいとおもいます。(∩´∀`)∩

すみません・・・・、そこは変わりません・・・たぶん。

今回はだいぶん長く書いちゃったかもです。(-0-;)

でわでわ出羽の海・・・・。

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