ただ単に歩く。頭を空っぽにして、瞬間の感覚のみにいざなわれて歩く。いきあたりばったりの散歩の醍醐味です。
自分をどこに連れていくかわからない、そんなお散歩って楽しいと思いませんか?
僕にもこういう経験があるんです。
近所の駄菓子屋にポテトチップスを買いに行くはずが、その駄菓子屋の横に伸びている獣道みたいなものが気になって、この先はどこにつながっているのか?と分け入ってみたら古い神社があって、その先をさらにずっと進んでいくと巨大な沼に通じていた・・・とか、そういうわくわくした思い出があります。
その経験をしたのは小学生のときでした。その沼で大きなイボカエルを捕まえて持って帰り、靴下まで泥だらけだったので母にしかられた、という酸っぱいオチがあるので今も記憶に鮮明なんですよ
あてずっぽうの散歩はドラマ!
大人になっても、その時のワクワクした思い出が心の片隅に残っていて、なにもすることがない休日などは、下車したことがない各駅停車の駅に下り立ち、そこから本能的な触覚だけを頼りにお散歩をする、というのを、今でもたまにやっています。
ごく普通の住宅地の中に、こじんまりとした公園があり、そこにSLが鎮座されていたり、道に迷って旧道にぶち当たり、江戸時代から続いている味噌屋さんを見つけて見学させてもらったり、古風な駄菓子屋を発見して、昔を思い出すタミヤのプラモデルが陳列されているのを眺めたり・・・・・。
もう書き出したらエトセトラ・エトセトラです。止まりません。どれも良い思い出となり、僕の人生のプチ財産ですもの。
観光地でもなく、ガイドブックも存在しない、街の片隅のちょっとした発見、そういう事柄に出会える楽しみが堪えられません。
お散歩には原則「はずれ」はありません
もっとも空振り三振か?と思うときもあります。
駅の周辺はどこまで行っても産業道路とファミレスとオフィス街、というときは「あちゃー!せっかくの休日がっ」と悔しくなります。
でも、たいがいはウロウロと歩き回っていると、神社やお寺のひとつはあるものです。
少なくとも、それらは明治維新前の建立であることがほとんどですから「由来」「縁起」の立札を眺めると、その土地に昔、どんな人々がいて、どういう生活をしていたのか、という点に想いを馳せることはできますよね。
そうそう、何の変哲もない住宅地の公園にポールが立っていて、よくみると昭和16年に立てたとされる国旗掲揚のためのポールだった、ということもありました。平和国家に生を受けた僕にとって、日本が戦争をしていた時代に建てられたポールは、もうそれこそがすでに歴史的遺産です。
有名な街を散歩するなら最低限の下調べはお薦め
でも、例えば今日はこの駅で下車して、その周辺を歩こう、ということを決めたとき、その駅の周りに主要な歴史的、文化的スポットがあったとしたら、やっぱり見どころは予め抑えて歩きたいですよね。
気づかずに無鉄砲に散策して、あとで、そのすぐ1本隣の路地に、こんな歴史的な重要スポットがあったのに!見落としたかー!とか、残念な気持ちになると、それはそれで面白くはありません。
その駅がご近所でなく、めったに行かないような場所であったなら、なおさら痛恨の極みです
観光地を歩くときは主要なスポットは何か所か事前に押さえておき、そこは必ず行くのだと決めます。そのうえで、その点と点を結ぶ線はアバウトで好きな脇道を遠回りしながら歩き、古い郵便ポストや花壇など、偶然の出会いを楽しむ、なんていうのが
観光スポットも網羅し、それでいてドキドキわくわくも得られるという「二兎を追う良策」ではないでしょうか?
それでは!またーっ(※^-^※)/
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